ある日、突然…電車内で意識を失う
公開日:
:
最終更新日:2014/04/22
未分類
忘れもしません…2000年3月23日…私は友達の結婚式に呼ばれていました。
大阪での結婚式でしたが、実は故郷が同じ友人5人が招待されていました。
無事、結婚式が終わり2次会へ参加…そして3次会は分かれて、同郷5人だけで梅田北新地で飲み続けました。
私はという相変わらず、顔を真っ赤に火照りながら弱いお酒をグイグイ飲み続けていました。
(※久しぶりの同郷人ですから、特に気持ち良いお酒でした。)
そして夜25:00…横浜から来た友人だけを自宅に泊めることに…
次の朝、私たちはいつものように目覚め朝食をして、横浜の友人を新大阪まで送り届けることに。
ちょうど日曜日だったこともあり、私は5歳の長男も連れていきました。
電車に乗り込むと心地よい太陽光が注ぎ、私たちは座った状態でウツラウツラ…(少々寝不足)。
そして終着駅に付き立ち上がろうとしたとき、私は言葉にならない言葉を発して、その場に倒れました。
ここからは、あとから友人に聞いた話を…。
表情を見ると、口から涎(よだれ)を垂らした状態で、まったく反応がなかったそうです。
友人が私を持ち上げて、必死に駅員のところまで連れて行ったそうです。
駅員さんは、「これは脳をやられてるな。早く救急車を呼ばなければ。」
そして「まだ若い男性、一番近い病院へ連れていかなければいけない」とも言っていたそうです。
もちろん私は倒れた時点から、まったく意識はありませんでした。
(※ちなみに長男はお父さんに何が起こったのか把握できず、目が点になったまま立ちすくんでいたようです。)
これが、私が脳内出血で倒れた一部始終です。
よく倒れる前に「手が震える」「言葉が出なくなる」といった症状が発症するといわれていますが、
私の場合、そういう症状は一切ありませんでした。
実はそうした症状が現れる人は、脳血管障害を発症する約30%にも満たないのです。
だからこそ、自分の体調管理をしっかりチェックしておく必要があるのです。
そして、私はそのチェックを怠った1人であり、自業自得の人生を迎えようとしているわけです。
(※自業自得の意味…片麻痺になり、仕事を失い、家族ともども不安な生活を強いられる。)
関連記事
-
資格をもとに近所のアルバイトを応募~どうしようもない挫折感~
毎日の日課である1時間の散歩の途中に見つけたアルバイト求人…。 新聞の折り込み欄や広告に掲載さ
-
そして、自分の意識が鮮明に蘇る
1週間に及ぶICU(集中治療室)による治療によって、「ようやく脳の肥大がおさまった」ことで、私は一般
-
今後の生き方を考えてみる…
私は脳血管障害(脳内出血)を発症し右片麻痺という障害を持って以来、一番充実した日々を過ごしています。
-
脳血管障害の後遺症について
脳梗塞や脳内出血といった脳血管障害を発症してしまうと、さまざまな後遺症に苦しめられることになります。
-
残り若干名様のみの提供とさせていただきます。
副業で稼げる方法をお渡しします。 残り若干名様のみの提供とさせていただきます。
-
脳血管障害の国からの手当の体験談
私は脳血管障害(脳内出血)を発症したことによって、「身体障害者手帳2級&障害者年金」を国から受けるて
-
ネット副業という仕事があって、本当に良かった!
自分自身で健康管理をないがしろにした結果、30歳代という若さで右片麻痺を発症してしまった私も、すでに
-
改めて理学療法士を考える
私も理学療法士の皆さんにはお世話になりました。 私のように脳内出血などによって身体に障害を発症
-
脳梗塞が起こりやすい季節
年間を通じて、脳血管障害の患者は約137万人いるといわれています。 そして、脳梗塞の患者は約80万
- PREV
- 脳内出血を発症する前の生活を振り返る…
- NEXT
- 1週間のICU治療