私を立ち直らせてくれた恩人
公開日:
:
最終更新日:2014/04/22
未分類
私の人生は、ある意味、非常にラッキーだったと思います。
ラッキー…それは、人生における恩人(友達)に恵まれていたからです。
私は脳血管障害(脳内出血)で倒れる以前、ある商社で働いていました。
配属先は、北陸と九州全域の専門店を統括することでした。
1年のうち、出張期間は約100日…当然、有休といった休みはスルーしなければなりませんでした。
しかしそうした出張期間が増えるにつれて、私の周りでは様々な人たちが手助けをしてくれたのです。
・大学卒業後、まったく何もわからない素人同然の私を、徹底的に鍛えてくれた先輩…。
・私の不手際で専門店に多大な迷惑をかけた時、必死になって謝ってくれた上司…。
また10年近く専門店を任せられたことによって、仕事を超えた関係になった専門店の社長…。
そして1999年、私は右片麻痺になってしまったのです。
商社は会社都合にしてもらい退職…すぐにハローワークから半年間の失業手当を取得しましたが、それもアッという間に使い切りました。
それと時期を前後して障害年金の手続き、保険の手続き等々をしました。
しかし幼い子どもたち2人を抱えていた私たち(自分と妻)にとって、そうしたお金は次から次へと流れていきました。
いうまでもなく、どん底の状態です。
そんな時、風の噂かどうかはわかりませんが、わざわざある人物が私を訪ねてきてくれたのです。
その人物は、私が担当していた専門店の社長でした。
私はびっくりしたのと同時に感極まり、泣き崩れてしまったことを今でも覚えています。
社長に思いのたけをすべて話し、それで別れました。
後日、社長から電話が…
「私の会社でちょっとした仕事をしてくれないか?」
「インターネットとエクセルで文字入力ができれば大丈夫だから。」
私は即答しました…「ありがとうございます!是非、その仕事をさせてください。」…
それから社長は数年間に渡って、月々4万円の給料を振り込み続けてくれたのです。
(※今考えても、ほんのわずかな文字入力…しかも、仕事のない月もあったのです。)
もちろん、お金がすべてではありませんが…当時の私にとって、お金が頂けることは最高の喜びであったのも事実です。
今でもその社長とは交流があり、何かあれば微力ながら手伝いもさせてもらっています。
私の人生は、挫折の繰り返しかもしれません。
しかしその挫折の中でも、私にここまで立ち直るきっかけを与えてくれた恩人がいたことだけが私の誇りでもあります。
関連記事
-
脳血管障害で障害者手帳をもらう方法
脳血管障害(=脳梗塞や脳内出血)によって身体的後遺症を発症した場合、公的支援を受けることができます(
-
ある日、突然…電車内で意識を失う
忘れもしません…2000年3月23日…私は友達の結婚式に呼ばれていました。 大阪での結婚式でし
-
脳血管障害の主な治療法~血管内治療~
ここからは参考までに、脳血管障害(脳梗塞/脳内出血)の治療方法について具体的に触れておこうと思います
-
片麻痺によるいろいろなリハビリ法
片麻痺になって初めて行ったリハビリは、ベッドの上に20~30分間座り続けることでした。 健常者から
-
資格をもとに近所のアルバイトを応募~どうしようもない挫折感~
毎日の日課である1時間の散歩の途中に見つけたアルバイト求人…。 新聞の折り込み欄や広告に掲載さ
-
障害者の仕事と収入を考えてみる
私のように人生の途中で障害者になってしまうと、否応なしにいろいろな部分が見えてきます(=障害者と健常
-
失語症の恐怖は、障害者だけでなく家族にも襲い掛かる
私は脳血管障害の後遺症の中で、もっとも辛いと感じる障害は「失語症」ではないかと思っています。 ○失
-
二度となりたくない隠れ脳梗塞
みなさんは「隠れ脳梗塞」という症状をご存知でしょうか。 例えば血栓(=血の塊)が脳内血管で詰まると
- PREV
- 在宅でしか仕事ができない人への助言
- NEXT
- 今後の生き方を考えてみる…