2ヵ月の入院の後の母親の変化
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脳内出血体験談
私が小脳梗塞で約2カ月間の入院を余儀なくされました。
その間、母親はどうしていたのかというと、地元の施設に預かってもらっていました。
退院後、久しぶりに再会した母。
まず安心したのは、私のことを覚えていてくれたこと(これはホッとしました)。
それ以上に大きな変化が…母の間で起こっていました。
それは夜中の徘徊が治まっていたことです。
もともと寝たい時に寝ていた母のルーティーンは次のような感じでした。
〇朝から夕方までは、寝たり起きたりの繰り返し。
でもって昼は定期的に外を出歩いていました。
長い時は1~2時間、戻ってこないこともありましたが、家にはちゃんと帰っていました。
※当初はそれが気になって気になって仕方がありませんでしたが、途中からはそれに慣れてしまい警察に通報することもなくなっていました。
〇夜は主に21時頃に就寝して、必ず夜中の2~3時にトレイで起きていました。
トイレが終わり真っ先にすることは、玄関を開けて散歩をすること(徘徊)。
玄関には5つの鍵を付けていましたが、いつの間にかすべての鍵の位置も覚えてしまっていて…。
「ガチャ、ガチャ、ガチャ」
その音に条件反射のように目が覚めてしまう私がいました。
「お婆さん、外は真っ暗で危ないからどこにもでないで!!!」
何度も叫びましたが、母には関係ありませんでした。
長い時は夜中に1時間以上うろつき回っていたんです。
でもちゃんと家には帰ってきました。
私自身も右片麻痺になっているため、母と同じように歩くことはできず…その時間帯もイライラしながら待つしかありませんでした。
※真夜中に母に対して大声を上げる私、ある時は民生委員が来て「あなたのことが心配できました」と…それほど私の気持ちはひっ迫していました。
ずっとイライラしているし、結局夜も寝れなくなっていました。
酷い時は睡眠時間が2時間で、それが1週間続くこともありました。
その結果というか代償として、小脳梗塞を発症したわですが。
それから退院後、大きく変わったことは母の夜の徘徊がなくなったことです。
多分、施設で夜に出歩くことができなくなったからだと思います。
5つの鍵は無意識に覚えていたと思います。
でも玄関を開けて夜の徘徊をしても、せいぜい20~30mでした。
足腰が弱ったせいもありますが、とにかく母の玄関を開ける音で目が覚めても、寝ることができるようになっていました。
これが一番の変化で、今もその状態が続いています。
最後に…ケアマネージャーには本当に感謝しています。
もしケアマネージャーの助言がなかったら、母を殺めていたかもしれなかったからです。
介護は1人でできることではありません。
出来得る多くの人の手を借りて、初めて介護ができることを知りました。
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ボバース記念病院での貴重な体験は、私の中で色あせることはありません。
ちなみに私は3ヶ月に1度、今でもボバーズ記念病院に通院しています。


