そして、自分の意識が鮮明に蘇る
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最終更新日:2014/04/22
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1週間に及ぶICU(集中治療室)による治療によって、「ようやく脳の肥大がおさまった」ことで、私は一般病棟(6人部屋)へ移ることになりました。
といっても最初の2~3日は、ほとんど寝てばかりだったような気がします。
その後、妻や親族が代わる代わる付き添いとして夕方まで一緒にいてくれました。
しかし、当時の私は最悪でした。
とにかく話しかけてくるすべての人に対して、汚らしい言葉で文句ばかり言っていたそうです。
(しかもろれつが回ってなく、半分何を言っているのかわからない。)
ちなみにこの症状は、脳血管障害を発症した人は誰でも通る道で、脳が正常になるにつれて思考回路も正常に戻ります。
そしてICUから一般病棟へ移って10日程度経過したあたりから、ようやく自分自身の置かれている現状を把握できるようになってきました。
○右手右足が思うように動かない…
でも今は思うように動かない右手右足だけど、いずれは動くようになって社会復帰もできるだろう。
○どうして私はこの病院にいるのだろう…
そうだ!電車から降りる瞬間、身体がいうことを効かなくなり、その場に倒れそまま意識を失ってしまったんだ。
こうした記憶が蘇ると同時に、この6人部屋一般病棟の病人を見渡すことができるようになりました。
実は、私と同じように脳血管障害(脳内出血)を発症した病人が3人もいたのです。
(もちろん、それがわかったのはそれから数日経ってからです。)
私は「大変な病気を患って可哀想」と感じたことを、今でも覚えています。
そして「可哀想」と感じた病気が…実は自分自身もそうだったと知るのは、それから1週間程度経ってからわかったことでした。
またそのころの私は、就寝時間になると看護師が来て私の身体を紐でくくり付けていました。
(朝になれば、紐を解いてくれます。)
何故なら睡眠中、無意識に起きようとするからです。
もし紐でくくり付けていなければ、その瞬間にベッドから落ちて様態が悪化するからです。
ちなみにこの症状も、脳血管障害を発症した人は誰でも通る道です。
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