人生観を変えたリハビリ病院
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最終更新日:2014/04/22
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ここではリハビリ専門病院のことにつて、詳しく書こうと思います。
そのリハビリ専門病院の患者のほどんどが、脳血管障害を含んだ様々な麻痺を抱えていました。
(※私を含め、100人以上の患者が入院していました。)
基本的に午前中・午後と2回のリハビリがメインでした。
そしてそのリハビリに尽力を尽くしてくれたのが、作業療法士と理学療法士です。
彼ら(彼女ら)は麻痺した側の身体を入念にチェックしながら、より軽く身体が動かせるようにいざなってくれます。
リハビリのその瞬間瞬間に、「麻痺した手が少し動いた!」…もちろん一瞬の出来事で…リハビリが終わると、そうした動きを見ることはできなくなります。
それでも患者全員が、一生懸命リハビリに頑張っているのです。
本当にいろいろな患者がいました。
私の症状は、右片麻痺で右手は硬直傾向にありましたが、不細工な格好でも歩くことができました。
(※奇跡的に、言語障害は治っていました。)
そして私は39歳ということもあり、患者の中では若い方でした。
(※私と同世代の患者は、10数名いたと思います。中には20歳代の患者もいました。)
そしてもちろん私より麻痺の症状が軽い患者もいましたが…それより何よりも、私より重い麻痺患者が精いっぱいリハビリに励んでいるのです。
患者は自分自身の現状を客観的に捉え、このリハビリ専門病院で「何かを変えよう!」としていました。
事実、このリハビリ専門病院に入院するまで自暴自棄になっていた私の心にも、変化が生まれてきました。
「みんな文句も言わず、それどころか楽しそうにリハビリに励んでいる。」
「いろいろな患者のいきさつ…それぞれが抱えている悩みを少しでもクリアにしようと頑張っている。」
リハビリ専門病院で過ごした3ヶ月間がなければ、今の私はなかったと自負しています。
それだけ得るものが多い入院期間だったのです。
最後に、すごく親しくなった50歳代の男性の話を…。
彼は右片麻痺で、言語障害で苦しんでいました。
言葉をうまく話せないことがどんなに辛いことか…自分の意思表示さえもままならないからです。
そうした症状で悩んでいる彼の元、私は何とか意思表示がわかるまでになりました。
そして退院後も定期的に会っていましたが、ある時彼の奥さんから電話があり、「昨日、息をひきとりました」と…。
結局、様々な麻痺に負けてしまい…そしてお酒に溺れてしまっていたそうです。
私はその時、こう思いました。
「このまま死んでしまったら、自分の人生は負けで終わってしまう。絶対に私は負けない!」
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ボバース記念病院での貴重な体験は、私の中で色あせることはありません。
ちなみに私は3ヶ月に1度、今でもボバーズ記念病院に通院しています。


